星光を継ぐ者ども 第八回

星光を継ぐ者ども 第8回 森 雅裕

 それから間もなく星鉄刀が研ぎ上がり、正弘はあずさを連れて引き取りに出かけた。本阿弥光悦は座敷の隅で正座しているあずさをまじまじと見つめ、しばらく微笑んでいたが、ふと我に返って、正弘に訊いた。

「親戚の子かいな」

「親戚?」

「あんたの子にしてはしつけがよろしい」

「俺の子です」

 思わず、語気が強くなってしまった。

「へ。子供がいるなんて聞いてへんで」

「いってませんでしたか」

「あのな、話し込んどる暇はないんや」

 光悦は研ぎ上がった星鉄刀を寄こした。研師は埃を恐れて、客を仕事場に入れないものだが、周囲では弟子たちが右往左往している。

「ああもう、えらいこっちゃ。いよいよ始まったわ。伏見城を西軍の宇喜多、小早川、島津の大軍が囲んだそうや。これはあっという間に西軍優勢になるで。東軍にひっついた金道師はアホやわ。噂では、千本の刀を内府様に注文されて、在京の刀鍛冶すべてを支配下に入れる条件で引き受けたそうや」

 はてさて。国広一門が金道の支配に入った覚えはないが。

 光悦は仕事部屋から廊下にまであふれ出た刀槍の束を指した。

「もう、うちは仕事部屋に入りきらんほど刀の研ぎが持ち込まれてなあ。本阿弥本家も分家も総動員や」

「ほお。西軍の依頼ですか」

「ああ。東軍からの依頼も多いけどな、そんなもんは台所に積み上げてある」

「商売繁盛で結構ですなあ」

 皮肉を投げてやったが、気づいたのか気づかぬのか、光悦は上下左右にせわしなく手を振った。

「いやはや。てんてこ舞いですわ。早よ帰って。あ、その子にこれ」

 あずさに羊羹をくれた。村正が作った菓子の方がうまいだろうと正弘は思ったが、あずさが行儀よろしく礼をいうので、余計なことは口に出さなかった。

 本阿弥光悦に追い出されたその足で、正弘は拵師へ星鉄刀を持ち込んだ。寸法が合いそうな拵は見つけたが、今ひとつ気に入らずにいると、あずさが壁の刀架けを指した。

「あれがいい」

「ん?」

 柄に黒革を巻いた合口拵である。

「あ、そうそう」

 拵師は手を叩いて、その拵を刀架けから下ろした。

「さるお武家の注文で誂えたんですけどな、ほれ、もう受け取ってもらわれしませんのや」

 どこかで急死した武将の注文なのだろう。

「中身は入っとりません。よかったら、お譲りしますわ」

 試しに星鉄刀を入れてみると、すらりと納まった。多少の調整は必要だが、何やら運命的なものさえ感じた。

「あずさ。お前、これのどこが気に入った?」

「目貫」

「この図柄は団子か」

「北斗七星でしょ。もう」

「冗談だよ」

 串刺し団子のように北斗七星を象った目貫だった。他の金具には鉄を用いた黒一色の拵なのだが、目貫のみ赤銅に金をかぶせ、漆黒の中に映えていた。

 

 七月二十四日、下野小山に到着した会津征討軍は、石田三成が挙兵したという報告を受け、その翌日、家康が主導権を握った「小山評定」で三成迎撃が決定した。諸大名は二十六日以降、続々と反転を開始した。会津の上杉景勝、秋田の佐竹義宣がこれを追撃しなかったのは、三成には大きな誤算であった。西と北から家康を挟撃するという目論見は潰えたのである。

 それでも緒戦の西軍は勢いづいていた。八月初め、伏見城が西軍の手に陥落し、さらに小野木重勝が丹後へ、宇喜多秀家、毛利秀元、鍋島勝茂、長束正家、長宗我部盛親らが伊勢へ殺到した。大谷吉継は北陸における諸将の調略を行い、三成自身は美濃制圧のために居城である佐和山城を出て、西軍の拠点・大垣城に入った。その先の岐阜城は織田信長の嫡孫である織田秀信が城主だったが、これを西軍へ引き入れることにも成功した。

 ここまでは西軍優勢であった。それはそうである。会津征討から反転した東軍の大勢力はまだ前線に到達していない。

「さて。村正よ」

 正弘は完成した星鉄刀を前に、いった。

「注文主にはどうやって納める? 島左近という軍者は石田の家臣だろ。屋敷は大坂城内、領地は佐和山、今は前線の大垣にいる。こんな時勢じゃ自由気楽には会えまいよ」

「書状を大坂屋敷宛てに出してある。返事はまだない」

 そんな会話を交わした数日後、弟子が突然の訪問客を案内してきた。端正な顔立ちだが、眼光が異様なほど鋭く、徒者ならぬ武士である。石田治部少輔の家臣、島左近と名乗った。

「急ですまぬ。諸事手配のためにあちこち駆け回っている。遅くなったが、書状を見た」

 村正はこの注文主と面識があるが、正弘は初対面だ。戦況など聞きたい気もしたが、口から出たのは、

「菓子でもいかがですか。村正という人は刀より菓子作りの方がうまい」

 そんな言葉だった。村正は白と緑の層が渦を巻いている菓子を出し、説明した。

「渦巻百合です。百合根を茹で、濾して板状に伸ばし、青海苔粉を塗り重ねて、経木で巻いたものです。塩と砂糖で味付けしてあります」

「面白いな。土産にしたい。包んでくれるか」

「承知いたしました」

 左近は星鉄刀を抜き、短く唸った。

「見事なものだ。奇矯な乱れ刃であるな」

「村正流の箱刃です」

 さらに左近は柄を抜き、茎に「村正」の銘を確認した。

「これはわが陣営には縁起が良い」

「石田治部少輔様がお持ちになるので?」

「そうなると、村正殿だけでなく正弘殿も徳川から疎まれるかも知れぬな」

「は?」

「この刀、村正殿だけの仕事とも思えぬ。正弘殿も手を貸しておられるな」

 さすがに眼力は鋭い。威張り散らすだけの武将ではない。正弘は気安ささえ覚え、いった。

「まあ、いずれにせよ刀は一人では作れません。手伝いが必要です」

「師匠の国広殿は当代随一の刀鍛冶と聞く。腕のいい代作者がいるようだ」

「恐れ入ります。まあ、私どもはどなたかのお抱え鍛冶ではありませんので、注文があれば東西関係なく引き受けるだけのこと」

 左近は代金を置いた。

「いただいていく。刀談議などしたいところだが、時勢は切迫しておる」

 馬上の人となり、雲行きが早くなった堀川の町に消えた。

 

 八月末、東軍の先鋒は美濃へなだれ込んだ。木曽川を渡って、竹ヶ鼻城、岐阜城を陥落させ、西軍を圧倒した。八月二十四日には西軍の拠点である大垣城目前まで迫った。同日、徳川秀忠は中山道を制圧すべく宇都宮を進発。九月一日には準備万端の家康が江戸から腰を上げ、東海道を西上した。

 十四日、島左近の作戦により杭瀬川の戦いで西軍は東軍を破った。しかし、総大将の毛利輝元が大坂城を動かず、京極高次、前田玄以が離反するという齟齬も生じていた。

 十五日、関ヶ原で東西両軍が衝突。秀忠は真田親子が守る上田城攻めにてこずり、決戦の合流には遅参したが、優勢であるはずの西軍もまた諸将の連携を欠いていた。

 島津義弘は「使者が下馬しなかったのは無礼」という理由で応援要請を拒否、また毛利秀元・長宗我部盛親・長束正家・安国寺恵瓊は東軍に内応した吉川広家に道を阻まれて動けず、これに小早川秀秋の裏切りが加わって、西軍は敗走。十八日には石田三成の佐和山城が落城した。

 二十一日、高時川の上流から近江古橋村へ逃れていた三成は田中吉政の手勢に捕縛された。大津城の門前でさらしものとされ、大坂で本多正純に身柄を預けられたのち、京都へ送られて京都所司代の監視下に置かれ、十月一日、六条河原で斬首された。

 さらされた首を見るつもりなど正弘にはなかったのだが、所用で三条大橋近くを通りかかった時、野次馬の人垣が目に入った。気分のいい光景ではなかった。ちらりと視線を流した限りでは、三つ四つの首があったようだ。もしや島左近の首も……と思ったが、目に入らなかった。まあ、名軍師とはいえ、石田三成の一家臣にすぎない左近の首に、そのような扱いはするまいが。

 足早に離れようとした時、

「おお。正弘はんやおへんか」

 声をかけられた。振り返ると、同業の伊賀守金道だった。三条西洞院に居住し、禁裏御用鍛冶であるから羽振りはいい。正弘より数等高級な身なりである。

「治部少はんの首を見たかいな。栄枯盛衰は世の習いとはいうものの、太閤はんのお気に入りやったお方が、はかないもんやなあ。他にも小西はん、安国寺はんの首が……」

「石田治部少輔様の後家来衆も全滅したのでしょうかな」

「ああ。そういえば、島なんとかいう軍者の最期が語り草になっとるらしいで」

 島左近は寡兵を率いて黒田長政・田中吉政隊へ突入し、討死を遂げている。

「勝ち残った武将や雑兵たちは夜ごと悪夢にうなされ、島なんとかが発した『かかれー』の声を聞いて、布団から飛び起きるそうや。島なんとかとやら、どれほどの武将やったんか、生前に会うてみたかったなア」

「そうですか……。浮き沈みは世の常とはいえ、侍が沈む時は死ぬ時なのですなあ」

「何をわかりきったことを今さら……。しかし、これからは徳川様の天下やで。沈みそうにはないな」

「はあ。そういや、金道師は東軍に肩入れなさっていたようですな」

「それそれ。先見の明っちゅうやつやな。西軍にすり寄ってた本阿弥光悦はんは今になって、あわてて徳川陣営に鞍替えしようとしてな、わしにうまいこと取りなしてくれとゆうてきよった。いずれ洛北鷹峯に芸術村とやらを作るから、わしも招いてくれるそうや。そんなことしてもらわんでも、いずれわしは日本鍛冶宗匠になる。そしたら、本阿弥一族をこき使うたるわ。はははははは」

「へえ。楽しみなことで」

 金道は格別に大言壮語する性格ではないのだが、正弘という男はどうにも他人から余計な言葉を引き出してしまう空気を醸しているらしい。心の中を開陳させてしまうのである。それは正弘の長所でもあり短所でもあった。

「うちも忙しゅうてな。人手が足りんのや。あんた、ちょっとだけでも手伝うてくれんか。いや、うちの弟子どもを指導してくれるだけでもええわ。待遇は目一杯考えさせてもらうで」

「そうですなあ。その時はよろしくお願いします」

 適当にいなしたつもりだが、そんな返事になってしまった。自覚はなかったが、自分の身に起こる異変に何か予感があったのかも知れない。

 

 風が冷たさを増した頃、正弘が鍛錬場とは別棟の仕上げ場で刀に樋を掻いていると、聞き慣れぬだみ声が外で響いた。何やら怒鳴っているようである。神経にさわる不快な声だ。

 庭に出た正弘は、鍛錬場の横に並ぶ物置小屋を見やった。そこでは弟子たちが炭切りをしていた。室内は炭塵で黒く霞んでおり、戸口や窓から漂い出た微細な炭塵が陽光にきらめいている。

 その煙った空気の中で、武士が物置小屋へ向かって叫んでいた。

「汚いっ。客が来たんだ。やめろっ!」

 この男が何者か見当がついたが、一応、正弘は尋ねた。

「どちら様で?」

 武士はすぐには答えなかった。嘲笑の形に吊り上がった口角、他人の懐を狙うような目つき、いかにも荒事専門という風情の男だった。

「使用人に用はない。親方はどこか」

「御用なら母屋へお回りくだされば……」

「はっ。母屋も物置も見分けのつかぬ屋敷ではないか」

「しがない職工の住まいでございますから」

「ほお。使用人にしては態度が大きいのお」

「国広の甥で、正弘と申します。あなた様は?」

「本多弥八郎(正純)の家臣、尾田黄一郎」

 村正から聞いた名だ。こいつか、と正弘は心臓が縮むような悪寒を味わった。動揺というより嫌悪感だったが、それを悟られぬよう炭切りの作業場を覗き、手を止めている弟子たちに、

「手を休めるな」

 そう命じた。尾田は嫌な色に目を光らせ、口元を歪めた。

「やめろ、というておる。刀鍛冶というのは耳が悪いのか」

「ここは仕事場ですから、勝手に入られても困ります」

「勝手とな。ふはははは。命知らずな口をきくものだな、刀鍛冶風情が」

 この男とはまともに口をきく気にならず、正弘は先に立って歩き出した。

「御案内します」

 国広は母屋の前で、小さな畑の世話をしている。のし歩く尾田を顔色も変えずに迎えた。

 尾田は繰り返して名乗るようなことはしない。

「俺のことは聞いているだろう。村正を探している」

 国広はのんびりと腰を伸ばし、ヨボヨボと縁台にもたれかかった。いかにも情けない年寄りに見えるが、芝居である。

「村正を見つけて、どうなさるので?」

「徳川家に弓引く者として、首をはねる」

 無茶な話だ。村正が何をしたというのか。

「村正は徳川に祟るという話だな」

「ただの噂にすぎぬではありませんか」

「ふん。徳川調伏を祈念しているとなれば、ただの噂とはいえぬ」

 尾田は縁台に腰掛け、持参した包みを解いた。見覚えある脇差が現れた。

「石田治部少が捕らえられた時に持っていたものだ。治部少は卑怯未練にも樵夫に化けて逃げ回っていたが、田中兵部(吉政)に見破られた。この刀は兵部が戦利品としたものを俺が預かった。村正の銘がある。徳川に縁起のよろしくない刀ゆえ、へし折られる運命だが、なかなか風変わりな出来よな。本阿弥光悦が研ぎ上げた星鉄刀であることはわかっている」

 本阿弥は諸大名家に出入りし、行く先々で仕入れた話を大名の耳に入れて機嫌をとる。訊かれもせぬことまで吹聴しているのだろう。

「わが主君が内府様に献じた星鉄刀はめでたく勝利をもたらしたが、この星鉄刀には御利益なく、治部少はさらし首になったわけだ」

「わが主君が」といっても、この尾田が村正の妻を刺し殺して奪った左文字作の星鉄刀である。

「光悦がいうには、星鉄刀は独特の地肌を見せるために刃文は控え目な直刃を焼くものだが、こいつは箱乱れだ。このような高低差が大きい刃文を均等に焼入れするのはむずかしいらしいな。さすがは村正だと賞賛していた」

 本阿弥光悦、余計なことをいってくれたものだ。

「もっとも、村正と承知で研いだのかと問い詰めたら、あわてて、うちに持ち込まれた時は無銘でございまして、と弁解していた。持ち込んだのは誰あろう、国広門下の正弘とやらいう刀鍛冶だそうな」

 ニヤ、と尾田は嘲笑をぶつけてきた。

「はてさて、何故に村正の作がおぬしの手元にあったのかな、正弘よ」

「私の作です」

 正弘は感情を殺しながら答えた。

「村正風の箱乱れという注文でした。希望に応えるのが私どもの仕事。そして、注文主がどなたであろうと刀鍛冶風情に選り好みはできません」

「注文主とは島左近か」

「しかし、無銘でかまわずといわれましたので、銘を入れずに納めております。村正銘はあとから誰かが入れたのでしょう」

 むろん、実のところは村正本人の手になる正真銘である。

 尾田は大袈裟に鼻を鳴らした。

「ほお。左近が偽銘の村正を石田治部少へ献じたと……。治部少はだまされ、偽物とも知らずに徳川調伏の霊力を期待したか。ふん。馬鹿な話だ」

「霊力などは持ち主が信じれば存在し、信じざれば存在せず。そんなものです」

「おやあ。聞いた風なことをぬかしおるな。ふへへ。俺が馬鹿な話というのはな、村正本人がここにいたなら、他の誰かに偽銘を切らせる必要はなかろうということだ」

「へえへえ」

 否定すれば逆上するだろうし、さりとて肯定もできず、正弘は神妙に相槌を打った。村正の滞在を尾田は知っているのか。しかし、村正はほとんど外出せず、人目にも触れていないはずだが。

「光悦から聞いたぞ。おぬし、幼い娘を連れていたそうだな。自分の子だとかいって……。おぬしのことくらい調べてある。子などおらぬ。そういえば、村正には五、六歳の娘がいたよなあ」

「いかにも村正は知らぬ仲ではありませんから、拙宅に滞在していたことがございます。しかし、あの男はすでに刀工を廃業しておりますし、滞在も短い期間でした。この屋敷のどこを探していただいても結構。村正もそんな子供も今はおりません」

 星鉄刀の制作から三か月が経っているのである。村正はすでにこの屋敷を離れていた。ただ、村正の生活が落ち着くまで、娘のあずさは国広一門で預かっている。今は正弘の妻と出かけており、屋敷を捜索されてもかまいはしないが。

「左様か。では、探させてもらおう」

 まさか実行するとは思わなかった。異常者の行動は良識ある者には予測できない。尾田は手近なところから戸という戸を開けて回った。納戸や物置、人が入るはずのない戸棚も容赦しなかった。仕舞ってあった物品は掻き出して床へぶちまけながら歩いた。もはや捜索ではなく暴虐であり、嫌がらせであった。常軌を逸している。

「けけけ。住人もゴミなら屋敷もゴミだらけだな」

 笑いながら、母屋だけでなく鍛錬場、仕上げ用の工作場もひっくり返した。ついには制作途中の刀をつかみ、これを振り回して、手当たり次第に破壊を始めた。弟子たちが悲鳴をあげて逃げ惑った。

 正弘はさすがに殺意さえ抱いたが、国広が目で制した。戦乱の時代を生きた国広は修羅場をくぐっている。無法者の乱暴狼藉ごときでうろたえたりしない。

 尾田は荒らし回ることに飽きると、あろうことか鍛錬場の火床に向かって小便しながら、大声で国広と正弘を呼びつけた。

「おい、正弘よ。村正の偽物を作ったと認めるのだな」

 なんだかそんな話になっている。

「恐れながら、無銘は偽作とは異なります」

「ふん。大宝令では作刀に銘を入れるよう定められておる。わしが知らんと思うか」

 九百年も昔の法令を持ち出されても馬鹿馬鹿しいだけだが、この男、他人に難癖をつける口実だけは用意周到らしい。

「偽作は許せんなあ。ふへへ。厳罰に処してくれようかの」

 尾田は向き直ると、国広や正弘の顔色を覗き込むように身をかがめ、首を切る仕草を見せて、下品に哄笑した。

「恐いか。ひゃはははは。泣け。うほほほほほ」

 いよいよ堪忍袋の緒を引きちぎりそうになった正弘だが、この険悪な気配を吹き飛ばすように、

「破門だ」

 国広のきびしい声が響いた。

「偽作の疑いをかけられるような者はこの門下に置かぬ。正弘よ、破門だ」

 そう宣告し、

「尾田様」

 尾田の髭面を直視した。老いた職人にすぎないはずの国広の方が、はるかに威厳がある。

「この年寄りに免じて、愚かなわが弟子を見逃してやってくれませぬか」

「年寄りに免じろだとぉ。ふん。お前がどれほどの年寄りだというのか」

「長く刀工をやっておりますと、色々な方々と御縁が生まれるもの。内府(家康)様に御注文をいただき、守り刀を打ったこともございます。今も禁裏からいくつか御依頼を受け、この正弘を含めた一門の者たちに手伝わせております。それ、あなた様が小便をかけた火床で作っている刀ですぞ」

 堀川国広といえば、当代随一の刀鍛冶である。貴人、有力者との交誼も少なくない。

 尾田は傍若無人な一方、計算高くもある。ただ想像力がないため、目の前の国広の人脈に考えが及ばない。暴虐を働くのは上策でないと気づき、不快そうに顔をそむけたが、もはや手遅れなのである。すでに越えてはならぬ一線を越えてしまった。自覚はないだろうが。

「そうか。それほどのお偉い刀鍛冶様が正弘を破門するというなら、こいつの首は勘弁してやる。だが、お前らを信じたわけでもなければ、村正を見つけ出すことをあきらめたわけでもないぞ」

 この男が人をいたぶるのに大義名分などない。快楽なのである。

「徳川家の敵を隠し立てすると、おぬしらも同罪ぞ。早いうちに村正の首を差し出すよう、おすすめする。げはははは。また来る。必ず来る。震えながらお待ちあれ。けっ」

 さんざん恫喝し、尾田は去った。備品、調度品が散乱した屋敷には、吐き気を催すような空気が残っていた。