88. 磨上について再度〈その二〉

 前回は磨上について基本的なことを述べたのであるが、今回は読者の方が概ね?と思っておられたり、私の理屈が理解しにくいと思われる事を述べてみたい。

 そもそも磨上とは単なる”長さ”だけの事(工作)ではなく、”厚み”との戦い、つまり、厚みとの最低限の妥協である事、むしろその方が最重要であって、長さは左程でもない事を知って欲しい。併し、従来迄の諸本に図示・図解された磨上方法には一番大事で一番難しい点には全く触れていないので、殆んどの方が磨上は簡単である位のこととしか捉えられてこなかった。

 従って、本阿弥光徳の金象嵌が入った有名な国指定物件等を鵜呑みにしているし、戦前・戦後の”大磨上”なる解説のある指定品を、これまた鵜呑みにしているが、それらの多くは本当に磨上っているのかという?がつくのであると覚悟していなければならない。

 では、その”厚み”の事を述べていきたい。基本的には前回の内容であるが、例えば三寸の磨上を生の太刀に工作すると、まず、生中心の研溜(一番分厚い部分)が新しい中心のほぼ中央部にくる。銘も中心尻の近くになるのであるが、いづれにしてもこの研溜とその上下周辺の重ね(厚み)の大きな段差を解消しないと鎺を作れないし、柄にも入らない(というか柄の製作が不可能)のである。強引に新しく鎺を作っても、ガタついて鎺の役目を果たせない。

 生の目釘孔の斜め上にある銘【前回の(A)に私が少し加筆補充したのが(D)である】「長光」のすぐ上に生の研溜【(D)一の矢印】があるので、その生の研溜は新しい中心の中央部より少し下部に位置することになる。【(D)三を参照】その矢印から上部になるにつれて、刀身の重ね(厚み)は薄くなっていくのであるから、新しい中心の目釘孔より少し上部までの重ね(厚み)を調整しなければならないのである。

 (A)(D)の長光の場合は裏銘がないから、佩裏の方にある生の研溜あたりから下を最小限ヤスリをかけて裏面のみの厚みを調整し、在銘の佩表の面は極力厚みを削らない様にするが、それでも調整出来ない時は「長光」銘よりすぐ上から、殊に矢印【(D)三図】から新しい目釘孔の少し上までにヤスリをかけ、ほんの少しづつ厚みを削り、新しい目釘孔の上部あたりまでを極力減らさない様に加工する。

 加工方法は、中心の棟角を中心尻からみて、棟区下までを極力無理なく通すように目測して、少し重ねが出っ張っている部分だけの所の鎬地を最初にヤスリで削る。その時に鎬の高さを部分的に大きく変えないために、鎬地を刃方の方までほんの少しどうしても削らざるを得なくなるので、この部分の鎬筋が刃方の方へ移動する。従って、目釘孔と鎬筋の位置関係(孔と鎬筋がどれだけ離れているか)を中心の表裏両方で確認することが重要です。

 但し、場合によっては在銘の中心の方を殆んど削らずに、銘のない方を削る場合もある。従って、中心の表裏に在銘のケースでは、さらに難しい工作を強いられる事になる。これがなかなか理解しにくくて、読者の皆様に?を与えるのであると思う。

 では、皆様は太刀(刀)は表裏が必ず均一に減ると思っておられるのでしょうか。絶対に均一(表裏同じく)には減りません。というか、減っていません。表裏は片チンバ状態です。研は錆た所や欠損した所のみを整形しますから、極端にいえば太刀(刀)は全て片チンバでありますし、古い作であればある程そうなっています。

 従って、磨上を施す太刀(刀)の状態(殊に区下からの中心の表裏の状態)をみて表裏どちらを削るかを判断しますので、ケースバイケースでありますが、どんなケースでも絶対に厳守しなければならないのは、銘は必ず残す(裏銘があれば、それを刀工銘より先に犠牲にするが、その裏銘も極力残す方法をとる)ことであり、新しい中心に元の古い錆、肉置、ヤスリ目、そして出来るなら生の目釘孔を全部でなくとも一部分でも極力残す。これが至上命令なのであります。

 又、刀工銘の部分だけはヤスリも錆も絶対に変化しない事は当然である。磨上げる前の中心の状態を極力残さなければ、その太刀(刀)の存在価値は全く残されないのです。当然、磨上前の中心の状態によっては、中心の表裏をヤスリで削るという苦渋の選択をしなければならないケースもあります。それは銘がギリギリ中心尻にくる時であり、中心尻が相当厚くなりますので、その時は裏面(銘のない方)を相当削る事になります。

 従って、本当に磨上を施した中心は、生中心の時にくらべて不恰好になり、鎬筋が変化するのは当たり前であって、磨上中心とされる表裏が均一な形状になった中心は全て?といってもよいのです。

 尤も、銘があっても一切かまわず、中心の両面にヤスリをかけて削り新しい中心を作るというのは、絶対にやってはいけない一番考えられない事で、ひょっとすると無くさなければいけない何か(銘か焼肌?)をついでに削りとったともいえます。

 では、片面だけや【(E)参照】、両面を少しづつ位置を違えて削ったのでは、中心の棟部の中心線が歪むではないかとの指摘もありましょうが、中心の棟部には焼(刃文)は入っていませんので、少しづつ修正出来ますし、ほんの僅かな中心線のズレ(歪み)は実用上差支えはないのでありますが、その結果として磨上中心は不恰好という事に必然的になってしまいます。

 又、(A)(D)のケースでは元の中心が、新しい中心の1/3強を占めているのでいいのですが、この(D)・三図からさらに磨上が施されると、二回目の磨上時の中心の大半は生の時の刀身となります。刀身には当然、皮鉄があります。その皮鉄は刀身の強度にも影響しますので、皮鉄はほんの少しでも片面でも残したいので、例え中心になるとはいえ、古い面影を広範囲になくしてしまう両面を減らす方向にはもっていきません。

 つまり、削るといってもほんの少しですから、片面だけを削る方が仕事上は極めて安全であり、危険率が低くなり、仕事も簡単で合理的でありますが、形状が不恰好になるだけであります。要は、鎺がほぼ正常に装着され、柄にも収められるだけの最小限の工作でいいのであり、中心尻も切りっぱなしの一文字(切)か、ごく浅い栗尻にするのがせいぜいです。

 従って、多くの加工を要する剣形の中心尻には金輪際なりません事を是非ともご理解下さい。(出来ないこともないが、中心の両面を全面的に削らないと出来ない)因みに、この(A)-(二)において中心の形状が少し間違っている可能性があります。というのは、(A)-(一)図の生中心の形状ですが、今少し反が強い筈であり、そうした古い太刀の中心は、銘字の上部あたりの鎬地を鉄鎚で叩いて中心の反を伏せてから磨上をしないと、新しい中心尻の形が変形(尖る気味)してしまう可能性が強いのです。

 つまり、銘字が部分的(銘字の棟側部)に欠失しやすくなり工作が面倒になります。従いまして、(D)-(二)に実線と点線でそれを少し書き入れておきますのでご了承下さい。更に(D)-(三)にも加筆(点線)し図を補充しました。殊に(D)-(三)では、中心の鎬筋の通り方の表裏の違いを目釘孔(二つ)の所で見較べて下さい。微妙に違います。従って中心尻部の鎬の高さは表裏相違することになります。つまり、削れば鎬が高くなるからです。汎そ、太刀を磨上るのは、打刀にしたいためでありますので、反の強い古い太刀の中心の形は邪魔ですので中心の反を伏せますし、太刀(磨上をしないで)そのままの状態で打刀にも両様に使用した実例がありますが、必ず太刀の中心の中央部から先の反を伏せた状態になっています。

平成二十九年三月 文責 中原 信夫