78. 偽物について(その三十)  村正の偽物

前稿と前々稿の内容を今一度復習をかねて検証してみたい。前々稿の(A)、(B)、(C)は同一刀であり、中心に残された刃文と銘字の位置関係からみた検証であった。つまり、刀工は必ず生中心の刃区と錆際(ヤスリを施す最上部と同所となる)を想定して、それから土置を始めるので、生中心の場合は刃区と錆際(研溜)との間で刃文は必ず刃方の方で消えている、と言うか、焼き始めるのである。併し、昔からこの部分についての正式名称が確定していないので、私の命名で一応「焼元(やきもと)」としておきたい。(掲図参照)

磨上中心でこの焼元が刃区そのものの部位になる事は絶対にあり得ないし、(A)、(B)、(C)の様に銘字と同レベル位置にまで焼元が下がってくる事は絶対にあり得ない。更に、磨上をしたら、その様になるのではとの反論は成り立たない。何故か、それは磨上の際か、若しくは刃区がなくなったので、刃区下の中心の刃方を削り新しく刃区を作るケースでは刃区の下まで焼いている(存在している)刃文(匂口)が邪魔というか、刃文があると硬くてヤスリが上スベリをして削る事が出来ないのである。無理にヤスリをかければ、思わぬ欠損を生じる。ならばどうするのか、磨上をする寸法分にあたる刃文(匂口)を消すのであるが、これが難しい。強く熱を加えすぎると上部の方まで匂口がなくなるのである。熱は刀身内部からも伝播し、表面を冷やしても効果は少ない。

従って、匂口はあるかないかのスレスレの程度、つまりヤスリがやっとかけられる程度の工作をしなければいけない。古い刀で、この焼元の部分から少し上の辺りまでが不明瞭か、又は無い様な状態が多いのは、こうした工作がなされているからである。前々稿の(A)~(C)の「村」の銘字の上部のレベル位置(矢印)にかぶってヤスリ目が鮮明に残されているのは、最近の工具を使った加工である事を物語っている。

別角度からこの村正の銘字をみても、銘字、殊に村の銘字に力が乏しく、よろけているし、第六画目の縦棒などは全く見られたものではなく、一見して偽銘である。基礎資料(押型)が多く保存してある筈の日刀保はこの銘字をみて、どの正真銘と合致したのであろうか、若し合致したのがあるなら、その基礎資料は資料批判がなされていないもので、基礎資料とはなり得ない。

では、以上の事を踏まえた上で(H)を見て頂きたい。村正の銘字から、一応はその左側の孔が生孔とみるほかはないから、本刀は上の目釘孔との距離に近い寸法が磨上られたとなる。しかも江戸後期の刀工・肥前忠行の磨上銘が指裏中心に刻されている。一見してこの磨上加工は○の様であるが、上の目釘孔と鎬筋が表裏ともにくっついているのは?であり、指裏の銘字の忠の下から揚(あげる・磨上の意味)の下までの棟角の線が歪んでふくらみ、不審である。さらに不審なのは生孔と思われる孔の位置であって、刃方へ寄りすぎである。これ以上に不審なのは、現在の刃区で刃文がなくなっている。しかも表裏同じ。前述の工作をして磨上たのなら、こんな状態にはならない。

従って、「村正」はじめ、指裏の銘字にも?がつくことになる。つまり、矢印の位置から少し上あたりから刃文はうっすらとでも真下の方にむかって残されていなければならないし、大事なのはその刃文の方向であって、刃区の方へ斜目に向かっていくことは前稿を理解して下されば絶対に考えられない事は明白である。因みに、磨上た中心にあけられた目釘孔と、新しい鎬筋の距離については後日本欄で述べる予定である。

平成二十八年五月 文責 中原 信夫