76. 偽物について(その二十八)  村正の偽物

今回は偽銘について別角度から検証をしていきたいと思います。まず、(A)・(B)・(C)を見て下さい。これらは同一の刀の中心押型と写真であります。(A)は私の押型であり、(B)は平成二十三年の特別保存証書からの転載であり、(C)は『大刀剣市』のカタログより転載のものであります。

さて、この刀には「村正」と在銘でありますが、今回はその村正銘のみの真偽ではなく、全く別角度から、この村正銘が偽銘である事を立証していきたいと思います。世上、銘字のみに関して、銘字の一点一画について論じ、それを基に○×をつけやすいのでありますが、恐らくこうした論争は殆んどが水掛け論に終わる事が多く、”見解の相違”という決まり文句で何となく幕引きになります。

過去に、私が日刀保の学芸員に銘字について見解を尋ねた際も、日刀保が”是”とする銘字を提示し見解を唱えた。勿論、それはそれで論理的には正しいが、基礎資料(日刀保が是とするもの)に?があればどの様な結果になるかは自明の理。従って、今回は銘字についての論はとらないで、中心の状態から検証してみる。

(A)の中心の刃方に矢印を示したが、この刀の刃文がこの矢印の所まで入っているのである。この押型での石華墨の濃淡をみて頂ければおおよそわかって頂けるかと思います。これは僅かな高低差、つまり刃文が残っている部分と、そうでない所の境界部には僅かな段差(高低差)があり、それに依って起こるものであります。

同じように(B)では白い矢印で示した所でありまして、却って写真の方が押型よりも鮮明に写されているかも知れません。又、先稿でお話しました”タガネ枕”も押型では黒い筋状となってあらわれ、写真では同じ部分が逆に白く光って写っているのを確認して下さいますと、よりよく先稿への理解が深まると存じます。

更に、(C)での白い矢印も(A)・(B)と全く同じ所につけておきましたが、鎺元辺から大きなドーム状の刃文の下の部分が、この矢印の所まで入っているのがわかると思います。およそ、生中心の刀の場合は、生の刃区の少し下あたりの刃方から刃文を焼き始めて、上の方へ入っていきます。つまり、この刀は刃文のみからみると、中心を改造し、少し磨上をしたか、少し区送(まちおくり)をした可能性があります。

しかし、銘字の位置からのみ考えると、刃文(矢印の所)はもっと上、現在の刃区の方へ約一寸程は上にこなければいけません。つまり、銘字のみは生中心での位置にあるが、刃文からみると生中心では絶対にない所作であることになります。ここがこの刀の盲点(いわば弱点)であります。つまり、絶対に考えられない位置に銘があるのですから、本刀の銘”村正”は完璧な追掛銘となり、銘字のみの真偽は不要となります。この物理的な見方で、この刀の正体は判明するのであります。

次に(D)を見て下さい。二つの目釘孔の間で、刃文が刃方へ入っています。(D)-1で見て下されば矢印の所であります。(D)-1は原寸の押型ですが、この刀は目釘孔の間隔分(約二寸程)が磨上っています。この状態と(A)〜(C)の状態を較べて頂ければ、(A)〜(C)で写されているこの村正在銘刀の正体(偽銘)がおわかり頂けると確信しております。

古い磨上では必ず(D)・(D)-1の様な中心状態にならなければいけない事は拙著『刀の鑑賞』で述べてあります。併し乍ら、この一番大事な点が全く除外されて無銘極や磨上の真偽がなされているのが現状であります。

では、この刀に特別保存が付けられていなければどうなったでしょう。大刀剣市で写真版でカタログに掲載されるのは掲載したお店のメイン商品でもあります。特別保存だからメインにしたと店は主張するでしょう。この特別保存証書が偽造でない限り、日刀保はどの様に説明するのでしょう。まさか、特別な関係の業者向けの”お目こぼし”とでも?、、、。

平成二十八年二月 文責 中原 信夫