69. 偽物について(その二十一)  栗原信秀の偽物

今回から、清麿門人の栗原信秀について少し続けて述べていくことにしたい。

(51)図を見て頂きたい。安政四年紀があるので、信秀とすれば比較的に初期作となるものである。さて、本欄で度々触れたが、清麿と真雄(正雄)の系統は目釘孔と鎬筋が接しない中心仕立が共通項である。従って、(51)図はまさにその通りになっている。

では(52)図を見て下さい。この片切刃造の刀の中心には明治二年紀があり、(51)図の安政四年とは12年間の隔たりがある。併し、(52)図の裏の中心の目釘孔と鎬筋は接していないで、適度な間隔がある。残念乍ら表の中心は鎬筋が刃方へ寄っている切刃造であるので、目釘孔との間隔は裏とは同じではないのであるが、裏の中心からのおよその実測では、表が鎬造であれば裏と同様に目釘孔と鎬筋は接しない。これは(52)が原寸の押型であるから、裏の鎬幅を表の棟角から計ってみての結果である。

さて、この(51)(52)図ともに年紀は一応別にして、信秀の銘字は清麿についで、見事な書体と端正さのあるもので、本欄(その十五・十六)で触れた、銘字にあらわれたアタリ(タガネ)とヌキ(タガネ)が殆んど誇張されずに、鋭く、そしてスマートに何の衒い(てらい)もなくスゥーと刻銘しているのに注目して頂きたい。殊に(52)図の表の中心の刻銘は、老錬で刻り慣れた端正かつ謹直で上手な銘字であり、師・清麿に勝るとも劣らないものと言えるのではないでしょうか。勿論、(51)図のそれも(52)図の上手さとは違った次元の上手さがあります。但、年紀については少しではありますが、アタリとヌキを使って両図(51)(52)図ともに刻銘している事もよくわかります。

本欄で以前述べましたが、信秀が弟子の誰よりも師・清麿に一番よく似ていると述べました理由もここにあります。

では(53)図を見て下さい。銘字を一見するだけだと流暢に刻り慣れている様に見えますが、鎬筋と目釘孔が表裏ともに殆んど接しています。尤も、僅かに元孔を拡げてはある様ですが、それでも違反した間隔です。この(53)図の年紀は元治元年紀ですから、(51)図(52)図の中間期にあたる時期ですから、この時期だけ特別に中心仕立を変えたという事は絶対にありません。そうした変化を認めると、一切の鑑定は不可能となる事は既述済のことでもあります。

さらに、(53)図の「信」の銘字の第2画目(亻)の縦棒の下部には、明らかにヌキタガネが強く打込まれています。《(53)-①を参照》併し、同じ個所の(51)(52)図ともに(53)図の様な強調したヌキタガネの打込は見られず、下の方へサラッと、そしてスゥーとぬいています。殊に(52)図はまさにその典型であります。こうした銘字、殊に刀工銘の銘字は、清麿一門にはほぼ共通した刻り方のような気がします。因みに、年紀の「年」の第4画は、殊に強く強調して打込まれているのも極めて不審な所作であります。

さて、数年前に(53)図を再び経眼した折にも、初見の時と持主は同じでしたが、この刀に対する私の判断は同じでありましたので、その旨を持主に言いましたら、持主は「前回も全く同じ事をいわれましたね、、、」という返事でした。

因みに、この(53)図に対して私が読者の皆様に伝えられないのは、刀の出来の良否であります。この刀の刃文、匂口は信秀とは思われない出来でありまして、作位(出来)的には「ぬるい」作(出来)でありました。信秀はこんな「ぬるい」作はやっておらないと存じます。「ぬるい」というのは不出来ですし、作風的にも不合理という様な感覚的表現です。同じ事は清麿や左行秀にもいえますし、一流刀工とされている刀工には絶対に考えられません。

この点が皆様に正確無比に言葉ではお伝えする事が出来ないので、どこかでこの刀を見かけられたら、私の感覚の当否を御自分の眼で判断して頂ければと存じます。実はこのような出来、不出来の判断を他人まかせや、本まかせ、認定書、指定書まかせにするのが一番マズいのであります。

(平成二十七年七月 文責 中原 信夫)